ハチャの深層

ハチャ独自の視点で ワイン、食、音楽、アート等を レビュ 。 

庄司紗矢香の音楽スタイル

 先日のNHK音楽祭の庄司紗矢香の演奏を再度見て思ったことがあります。スケール感、味わい、艶、色気などを考えると彼女の演奏にはそれほど感じることはありまなかったということ。未だ若いから無理もないという意見もありましょう。実にそうです。比較する対象からするとちょっときついですが、わずか3歳年長のサラ・チャンはこれらの要素において十分感じられるものをパフォーマンスとして示しています。
 庄司は楽器としてのバイオリンを鳴らすことに懸命だったように見えました。かたや、サラ・チャンは音楽表現の道具としてバイオリンを使っているに過ぎない感じがしました。チャンの奏でる音はある程度成熟している感じを受けました。その音から受けるチャンの形容はアーティスト。しかし、庄司は残念ながらパフォーマー以前であるプレイヤーの域を出ていないような、そんな印象は否めません。
 改めて考えるまでもなく音楽家は道具としての楽器のみに依存して表現するのではないのでしょう。その楽器をどう扱えば、どう鳴るかを知っているだけでは在る域まではいけるでしょうが、それ以上の高みに行けるかどうかは楽器以前の問題があるように思います。同じ指使いしているはずなのに違う音になってしまう。先日のチャンの演奏を知人と一緒に聴きながら「どうしてこんなに音が良い?」とふたりで不思議がったものです。恐らくはチャンの言う「指の動きを超えた音」がそこにはあるのでしょう。では指の動きを超えた音は果たしてどうやったら出るのでしょうか。私の勝手な想像ですが、それは人間としての成長と経験による何かのような気がします。

 最近では子供のころからの英才教育で演奏の上手い子供はたくさんいるでしょう。しかし、所詮うまい演奏でしかなく、円熟やスケールの大きい、または色気のある大人の音は出ないものです。私は好みではないのですが、フジコ・ヘミングウェイのピアノの音は悲しく痛々しいです。でもその音は彼女しか出せない音。それはきっと彼女が経験してきたことが反映しているのでしょう。そう考えると、クラシックのソリストが指の動きを超えた音を出す方法論の一つは人生経験なのかもしれないと思うのです。

 音楽家にはそれぞれ表現アプローチが異なります。ですから庄司の表現方法は今の表現なのですからとやかく言う必要はないわけです。でもどうしても期待してしまいます。
 庄司は本当に上手いです。日本人バイオリニストには諏訪内晶子、五嶋みどり、神尾真由子などいますが、私は庄司が一番好きです。でもそれは今の姿だけの評価ではなく、数年後の姿を折り込んでの評価です。庄司紗矢香は先ほどあげた要素を私に見せるときがくると信じています。庄司がこの先とても素晴らしい人生経験をしてそれが演奏に反映するようなそんなときがきっと来ると信じています。それはもしかしたら、大人になったらきっと素敵になるであろう、そんな大人の姿をだぶらせて子供を見る目線に似ているのかも知れません。

 いつか化ける、きっと化ける。
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  1. 2008/11/26(水) 22:13:50|
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