ハチャの深層

ハチャ独自の視点で ワイン、食、音楽、アート等を レビュ 。 

桧枝岐村

 私の周りにはテレビを所持していない人も割といます。私と言えばテレビを持っており毎日観ます。そうは言っても、アカデミックな番組ばかりです。10数年前は動物物、アート物の全ての番組を録画して観ました。それからクラシック音楽関係、「世界ふれあい街歩き」です。いつまで見なきゃいけないのか?と自分に問うほど辛かったです。でも、その答えはそのうち出ました。飽きるまで、でした。つまり、「これは以前にも見たなあ」が頻繁になった時、もしくは番組のレベルが低いと相対的に感じるようになるまで。
そんな私が今、ハマっている番組は「新日本風土記」、それから、そこへの連動番組である「もういちど、日本」です。
 外国語を話せない人は母国語のことを知らない、なんて言われます。確かに比較対象があってこそと気づかせる表現です。ですから「世界ふれあい街歩き」を見て日本人の考え方や気質を相対的に見ました。これは去年卒業しました。
 さて、「新日本風土記」の鑑賞目的ですが、田舎を見ることにより東京を代表とする都会を、古い時代を見、その対照として現代を見るためです。いわば考現学です。

「檜枝岐(ひのえまた)奥会津」これは2017.2.3の放送でした。私にとってはかなり衝撃的に面白く、ちゃんとレビュしたいと思いつつかなり時間が経過してしまいました。

[檜枝岐はどういう場所?]
 檜枝岐と言ってもピンとくる人は少ないでしょう。福島県の南西に位置します。尾瀬の入り口と言えばよいでしょうか。そのせいか、村人の半分以上が民宿や旅館など観光業に携わっています。標高940mの谷あいに200世帯が住んでいます。1年の半分が雪で覆われる日本有数の「特別豪雪地帯」です。限られた農地では山で陽が陰って米は取れません。
[檜枝岐の独立心]
 実は1917年に両隣の村から独立しました。今年が独立100周年です。3KWの水力発電機を購入するために株式会社を設立し、ほぼすべての世帯が株式を購入しました。現在の貨幣価値で二千万円。一世帯当たり10万円です。これで建設資金を賄い自分たちの力で明かりを灯したのことです。村人たちの結束が固いことがこんなエピソードから垣間見えます。それから今でも、年に一度は檜枝岐村民大運動会が行われます。

[落人はどこから?]
 この村の村民の名前には偏りがあります。村人の名前は星が4割、平野が3割、橘が1割。日常では村人同士は名前で呼び合います。実は檜枝岐村は落人たちの隠れ里と言われています。それは墓地のお墓の家紋に見て取れます。星家の墓には石田三成と同じ九曜紋があしらわれており、平野家は平清盛など平家が受け継いできた揚羽蝶。橘家は井伊直弼と同じ御前橘。
 この村は1200年前に星家の先祖がやってきて始まったのです。昔から伝わる星家の家系図に謎めいた文言があったのです。本名「藤原」、仮名「星」。藤原氏が素性を隠し、星を名乗っていたと言うのです。
 星、平野、橘、いずれも南の方から逃れてきた人たちです。言い伝えによると、星家の先祖は奈良時代の朝廷内の争いから逃れてきた人々。平野家は源氏との戦いに敗れた平家の末裔。橘家は戦国時代、織田信長に敗れた楠家の流れ。何れも敵の手を逃れ辿り着いた人々なのです。
 何故彼らはこの地を選んだのか。それは外から檜枝岐を襲ってくる場合、攻めづらい地形だったわけです。何しろ標高940mの山に挟まれた細い長い谷あいですから。そして、これらの人々によって最近まで守り継がれた掟があります。鯉のぼりを立てないこと。犬や鶏を飼わないこと。つまり人がいる気配を感じられないようにすると言うことです。

[その真偽は]
 さて、古文書だけで本当に武士や公家の末裔たちと言えるのかと言う疑問はあるでしょう。しかし、村人たちの話し言葉を聞けば直ぐにでも納得できます。村の民族史によると「綺麗に澄んだ発音」の侍言葉で話すとのこと。これは現在でもそうでした。方言がないだけではなく、言葉遣いが綺麗なのです。老婦人たちの話し言葉は字幕なしでも良く分かりました。村から10kmしか離れていない南会津町の大桃地区の年配の方の話は方言が多く半分くらいしか分かりませんでした。

[200世帯でのベビーブーム]
 村には数年おきにベビーブームが起こります。実は生まれてくる子が寂しくないように母親同士が示し合わせているとのことです。他に同級生がいた方が良いだろうとの思惑らしいのです。

「早く同級生つくって!」
「急げ」
「(同じ学年に)間に合わないよ!」(笑)
「あと1か月あるから大丈夫」

 産み合わせで生まれた同級生の繋がりは村を離れても続きます。檜枝岐村は中学校しかないので、高校は100km離れた会津若松市に通うことになります。ここに檜枝岐村が50年ほど前に村営の寮を作ったのです。親元を離れた子どもたちがこの寮に入るのです。慣れない環境で戸惑ったとき、寮には気心の知れた幼なじみがたくさんいるということです。
[口減らし]
 檜枝岐村の中心部に六体の地蔵があります。江戸時代の半ば繰り返し激しい飢饉が東北地方を襲ったのです。長引く飢餓が人々に過酷な選択を迫りました。働ける人を生き延びさせるのを優先し、母たちは口減らしのためにやむなく我が子を死なせたのです。その命を慰めるために立てられたのが六地蔵でした。このような話は檜枝岐に限らずときおり聞きます。

[]
 村では嫁入り道具をカロウトと言う箱に入れて持ってくる習わしがあったとのことです。自分が死んだときは自らの棺になります。生前に棺を用意する風習が生まれたのは江戸時代です。雪深い冬に死ぬと、棺を作る木を切り出すことが難しかったからと言われています。男も15歳の時にカロウトを作る習わしが昭和30年代まであったようです。
「生まれた以上、死ぬのは当たり前。何度考えても死なないでいる訳にはいかない。えっへへ。」と村の老人は語ります。

 若いうちから死を意識した方が、生を意識するので良いとは思うのですが、現代社会ではことさら死を生活から遠ざけている気がします。

[村民の歌舞伎]
 村には村人自らが演じる歌舞伎があります。春と秋に行われます。村の鎮守の境内に国の重要文化財に指定されている舞台があります。その対面には横に長い階段があり、そこが客席なっており、千人以上が着席できます。自給自足って食べ物ばかりに目が行きますが、檜枝岐では娯楽もそう。

檜枝岐民族史:
この村には飛びぬけた金持ちもいない代わりに極貧者もいない。
誰もが中肉中背で温和で平和に生活を楽しんでいる訳なのである。

 この番組を観終えて色んなことを思いました。国など外に依存しない心や頑なさ。少し、違いますがアーミッシュのことも思い出しました。檜枝岐には逃亡者のような事情があったから外との断然を選ばざるを得なかったのはあるのかも知れません。それでも、彼らの生き様は素敵なものがありました。それは自らの手で自らを治めていく自治の精神です。一つの理想的なコミュニティの姿を見ました。

 私にとってこの回は特に面白いものでした。毎回そうなのではないです。というか、こういう状態ならまだまだ止められないです。

国が何かをしてくれるだろうという依存心が薄いです。
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  1. 2017/03/31(金) 14:32:16|
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