ハチャの深層

ハチャ独自の視点で ワイン、食、音楽、アート等を レビュ 。 

ジャコメッティ(神奈川県立近代美術館葉山)

ジャコメッティ


 私がジャコメッティの作品を観て感じることは、思索である。一般の展覧会で作品の素晴らしさを感じ、一種のカタルシスを感じるという行為とはジャコメッティ展は違います。やはり作品を通してのジャコメッティとの対話、もしくは自分の中での思念に行き着く。もちろん、初期のプリミティヴアートのようなカップル、歩く女Ⅰ(高さ150cm)など完成された素晴らしい作品などもあり、これらは感嘆の念を禁じえない。しかし、それ以降の彼の作品は基本的に実験であり、作者からすると未完成のものである。このことが観る者に「ジャコメッティ、あなたは何を追及しているのですか」という問いかけをしてしまうのではないだろうか。

 見えるものを見えるがままにジャコメッティは表現しているとはいうが、鑑賞者にはそう見えない。絵画であれば二次元、彫刻であれば三次元であるが、今われわれが生きている空間は三次元に時間という次元が加わって、専門用語で言うと四次元時空連続体である。普通の画家はわれわれが生きている四次元時空連続体の一部を切り取っり、投射し二次元のカンヴァスに表現する。しかし、ジャコメッティは四次元時空連続体のままカンヴァスに表現しようとする。だからややこしい。

 たとえば、競馬場の様子を表現した動きを感じさせるデュフィの絵であれば「馬が動いているんだ」とわかり易いのでしょう。しかし、ジャコメッティの場合は動いていないはずのモデルに呼吸、思索などの人間としての存在を表現しているのではないだろうか。つまり絵の完成度のためにモデルが存在するのではなく、その人間の存在を最優先するための絵の表現がある。特に哲学者の矢内原伊作の作品は製作中に彼と哲学的な会話をしていたらしく、矢内原の表情には哲学的言葉や思念によるな皺が刻み込まれている。さながらそれは表現に対して常に格闘してきたジャコメッティ自身のそれと重なって見えてしまいました。

 山などの風景がちょっとありましたが、動かないはずの山もジャコメッティにかかれば動きを感じさせる表現になっていてちょっと笑ってしまいました。しかし、山自身は確かに動かないけど刻々と表情を変えることだってあるのだとすぐに思い直しました。ジャコメッティを観た後は美術館を出て潮風に当たって思索に耽ることをお勧めします。たまには哲学するのもいいものです。
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  1. 2006/07/09(日) 11:58:17|
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