ハチャの深層

ハチャ独自の視点で ワイン、食、音楽、アート等を レビュ 。 

ジャン・マルク・ルイサダ

 気が進まなかったコンサートでした。年に一回の、ある祭りのためにちょっと遠出をしようとしたらチケットを頂いたのです。期日が重なっていたので遠出はやむなく諦めることにしました。ルイサダはNHKのスーパーピアノレッスンで2度ほど見かけたくらいです。スーパーが付くくらいですから、基本技術がある人向けに表現力を主に教えていました。抑揚の付け方や、しぐさがオーバーだなあ、などと思ってはいたのですが、冷静に考えると表現力はやや誇張したほうが伝わるものです。生徒ににとってはなるほどと納得できたことでしょう。それでも、この表現力というテクニックがどうも私にはうまく馴染めないというのが気が進まない理由でした。
 さて、オーケストラは東京藝術大学学生で会場には在学生やOB、OGと思しき人が多くいました。学生の演奏でちょっと心配したのですが、放課後にクラブ活動で演奏しているのとは違うのですから、芸大の演奏レベルはとても高いのもでした。協奏曲のバックとしては充分です。当日の演目はモーツァルトのドンジョバンニ、その後はピアノコンチェルトでモーツァルトの27番とベートーヴェンの4番です。
 モーツァルトの27番はなかなか美しく奏でられました。ルイサダと言えばショパンのイメージがありますがモーツァルトもとても良かったです。イメージで言うと毛糸の玉がポンポン弾みながら転がるような感じです。軽やかさがやや強調された感じです。
 次にベートーヴェンですがどうも、ルイサダにベートーヴェンというのはうまく想像できなかったのですが、その通りベートーヴェンらしいかっちりしたというより、どこかモーツァルト的な流麗な感じがしました。別に悪くは無いですがやはり、ベートーヴェンらしくないというのはちょっと気になりました。そういえば第一楽章最後のカデンツァですが、長かったのでベートーヴェンが用意した2つのカデンツァのうち100小節(もう一つは50小節)だと思います。フレーズでベートーヴェンっぽくない部分がちょっとあったのですが、まさかルイサダ本人の?とも思ったのですが、関係者に聞くとやはりベートーヴェンのものでした。

 ルイサダはその奏でる音からピアノの詩人と形容されています。既に完成された詩を朗読する理知的な詩人の如し。詩人といえば流浪の無頼派即興詩人みたいなファジル・サイがいます。彼はそのときの感覚で弾いている印象がありますが、ルイサダは完全にコントロールされたテクニックを用いて詩を紡ぎます。それはテクニックを強調するのではなく、抑揚や美しい音の粒立ちなど詩人と言われるような音の表現をするために腕、手、指を見事に制御、駆使しているようです。どんなに演奏に入り込んでいるように見えるときにでも、ルイサダの頭はきっとクールでしょう。これは制御のテクニックです。一聴するとすると似ているようですがファジル・サイの演奏感覚とは恐らくは対極にあるものです。でもこれが曲者です。あまりにもコントロールされているからでしょうか、直接聴こえてくる素晴らしい表現の量と較べて心に訴えるものが私には少なく感じました。
 少々のミスは織り込み済みの芸術家肌というより、難しいことをこともなげにこなしてしまう職人肌のような感じがします。ちょっと意地悪な表現を敢えてすれば完璧な演技で叙情的な演奏をしているという感じです。今思えばレッスンの先生にはまさに適任だったのでしょう。
スポンサーサイト
  1. 2006/11/21(火) 23:38:26|
  2. 音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<エリアフ・インバル(アルプス交響曲) | ホーム | モツレク(アーノンクール)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://mwzelda.blog22.fc2.com/tb.php/165-d84da36c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ハチャ

Author:ハチャ
アーティスティックなものが好きな私です。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する