2004年木村伊兵衛写真賞を受賞した沢田知子はシャッターを押さない写真家である。シャッターを押さないとは被写体が全て本人だからです。沢田は衣装と化粧で一作品毎に別人になりきっておびただしい数の写真を撮ります。賞を取ったのは証明写真で撮った400人(×4枚)でID-400という作品名。決して美人とは言えない少しふくよかな丸顔は写真によっては笑えるものもあります。
さてここで芸術関係にそれなりに興味がある人ならそろそろ思い出すのが扮装画家の森村泰昌です。森村は有名絵画のモデルに扮装し写真を撮っています。扮装と言っても、本人はいたって真面目で、フェルメールの時は現実にはありえない構図と一般に言われていた「画家のアトリエ」は遠近法に忠実に則って描かれたと、絵を忠実に再現することによって証明しました。
話を元に戻します。画家が絵の具と筆を媒介として表現する人であると同様に、写真家はカメラという媒介を通して表現する人だとすると沢田は写真家であろう。絵画は(ファイン)アートであるが写真はアートであろうか、という側面から見てみます。
まず、ポップアートはアートか?ロイ・リヒテンシュタインの漫画アートは誰にでも出来ることですが、最初にやったから偉い、というコロンブスの卵的なところがあります。それは一種のコンセプチュアルアートです。ただしリヒテンシュタインは漫画アートだけに終わらず一般人には描けない絵画も残しています。同様に沢田のID-400も一種のコンセプチュアルアートだと思います。勿論、400人創りだすのは並みの人には出来ないことです。実際、コンセプチュアルアートとして成立するのは大量という数があるからです。私はコセプチュアルアートを認めないわけではありませんが、コセプチュアルアートだけしかやっていない人を人々は認めたがりません。
ミケランジェロやラファエロが創りだす作品は誰が作ったものであろうと人々に認められます。それは一目見て人間技とは思えないからです。彼らの作品には神を感じます。そういう類稀な才能を持ち合わせていないのであればやはり誰の手にかかったのかが大事だと思います。それは人間臭さを感じるからです。コセプトで人間臭さを感じることはなかなか出来ません。沢田がもっと広く認められるためにはこの先、人間臭さを感じる作品を提示する必要があるのだと思います。
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- 2006/12/19(火) 00:21:01|
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