ハチャの深層

ハチャ独自の視点で ワイン、食、音楽、アート等を レビュ 。 

ワイン会の臨界点

ワイン会臨界点
 随分長いことワイン会を行っていました。私の開くワイン会はテーマとなる原産地(アペラシオン)があります。だから私は自らをアペラシオンの伝道師と称していました。ワイン会は毎年2回以上行うことを課していました。そのおかげで実に50回ほど開催しました。最初のうちはよかったのですが、しばらくすると続けることが苦痛になり、ここ4年ほどは「後1年だけやろう」を繰り返していました。でもそれも今回まで。つまり先週のジュラを最後に止めることにしました。理由はいくつかあるのですが、一番はやりたいと思うアペラシオンが無くなったからです。ワイン会を行うというのは実に大変なことでした。大変だけど、それでもやりたいと思わせる原産地が無くなったということです。ワイン会の開催については20数項目にも及ぶ実施規定がありました。

0.テーマアペラシオンを決めること。
→アペラシオンはワイン5本である程度把握ができる範囲とすること。例えばコート・デュ・ローヌというテーマを考えると5本では把握不可能。最低限北と南に分ける。
1.供出ワインは当該アペラシオンを代表するAC、村を網羅すること。
→例えば北ローヌというテーマならコート・ロティとエルミタージュは必須。
2.その村の最上の生産者を選ぶこと。
→その村で広く認められた生産者はそのアペラシオンの特性を大事にし、それをワインに表現している。
3.テーマアペラシオンの代表品種を網羅すること。
→ブドウ品種こそが第一のカテゴリー。
4.白と赤を入れること。
→ワインの色は根本的カテゴリ。
5.供出順はワインのグレードの順とし、その一つひとつにあわせた料理を作ること。
→ワインは常に料理の添え物である。
6.料理は突き出し、前菜、パスタ、主菜、チーズとし、ワイン抜きでも成り立つ順番とする。
→ワインの順番を自然な流れとするなら、料理の順番も自然な流れとする。
7.料理の完成度はワイン抜きでも十分楽しめるものとすること。
→最上のワインにはそれなりのグレードの料理を。
8.メニューは過去に出したものは不可。但し、肉料理は過去とは異なったソースなら可とする。主菜は供出直前に調理するものを。温め直して出せばよい煮込み料理の類いは不可。
→初めて飲むワインはいつもわくわくさせてくれる。ならば、料理もわくわく感を。
9.デセールは東京でトップレベルの店のを購入すること。
→ワインのグレードに合わせる。そして、美味しい噂は聞くけど食べる機会が無い、を叶える。
10.音楽の選曲は...

いろいろです。
1-5を見るとわかりますが、会に参加すれば、そのアペラシオンが理解できます。ワイン会にはワインリストを用意しますのでそれ1枚にそのアペラシオンが凝縮されるわけです。これはソムリエ試験などで行うワインの知識の勉強とは異なる実学の勉強です。ワイン会は知識を舌と鼻で実感する場とも言えます。これを参加者のために行ったのですが、実は一番勉強になったのは私でした。ワイン会で学んだことはたくさんありますが、一番はどんなアペラシオンでもそこの最上のワインは美味しいということ。ただ、それを理解するにはちょっとした見方が必要な場合があります。
 その土地の土壌と気候に合った品種で作られるワインはその土地の食にあったもののはず。長い年月をかけて淘汰を経てその土地には残るべきワインが残るのでしょう。だからその土地を意識することがワインを愉しむことの重要な要素となります。だから思ったのは

「こういうものだから」

という認識。自分が美味しいかどうかで判断するのではなく、その土地で認められたという視点に立つと言うこと。
 ボルドー地方サンテミリオン地区をテーマにしたワイン会に参加して「タンニンが多いカベルネ・ソーヴィニオンが好きなんですけど」と言ってもしかたがない。サンテミリオンは「メルロー主体の柔らかいものだから」という認識がサンテミリオンを愉しむ第一歩。それは当たり前のことのようですが、人はワインを美味しい、美味しくないだけで片付けてしまいがちです。心底ワインを愉しみたかったら必要なことは、「こういうものだから」と受け入れること。それを受け入れてこそ、その土地のワインの良さを理解する第一歩と思うのです。

 普段ワインを飲んでいると、その中に時折主張する1本に巡り合うことがあります。ぼんやりしていると耳を引っ張られるそんなワインに巡り合うと嬉しくなります。それと比較するとワイン会で供出するその土地の5本のワインはそれぞれが響きあうほど、ややもすると、こちらが臆するほどとても雄弁です。

 ワイン会の内容を話すと「やりすぎだ」、「そんなにひとりでやらなくても」と言う人がいました。まあ、確かにそうかもしれません。ただ、私はこうも思うのです。物事には臨界点というものがありそれを超えると、一気に印象が変わる場合がある。過去にいろんなワイン会に参加したことがある私がワイン会を開くにあたって考えることはワイン会の臨界点を超えることだったのです。おそらく凡百のワインを相手にする限り臨界点なんて考えもしないでしょう。ギリギリ、極限まで行おう、恥ずかしくないことを。その恥ずかしくないという対象とは参加者ではなく、そのアペラシオンの最上の供出ワイン、そしてその生産者だったのです。

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  1. 2010/01/13(水) 21:49:31|
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